ふぐ料理はいつから食されていたのか
ふぐには、とても長い歴史があり、日本では縄文時代からすでに食べられていたという説が有力で、当時の貝塚からさまざまな魚や貝の骨などに混じってその中にふぐの骨が発見されて証明されています。
海外では、エジプトでもふぐを食べている壁画が残っていることから、世界的に見てもかなり遠い昔からふぐを食べていたということが分かっています。
ですが、この大昔の時代には、まださまざまな調理方法はなく、ふぐは焼くか、煮るかという単純な調理で、ふぐには毒があるということが分かったのは、もっとずっと後の時代だったようです。
書物の中にふぐを食べていたという歴史が刻まれているのは、平安時代に入ってからのことだったようです。
こうしてかなり大昔から食べられていたふぐでしたが、ある武将が朝鮮に出兵しようとしていた文禄の役の年、立ち寄り先で食べたふぐの毒に当たって、家来をたくさん失ってしまうこととなってしまいました。
これに驚いた武将は、ふぐを食べないよう、家来に禁止令を出して、それがそのまま江戸時代に入っても続くことになってしまいました。
江戸時代の武士に対しても、引き続きふぐを食べることは禁止となっていましたが、武士ほどの階級ではない、庶民の間ではふぐを食べる自由があり、ふぐのおいしさという魅力から、元禄時代になると、自然とまた武士の間でもふぐを食べることが広まるようになっていました。
ふぐのおいしさは、俳人、浮世絵師、落語家など、多くの文化人にも広まっていき、それぞれふぐを食べたおいしさを、俳句や小話などで世の中に伝えています。
明治時代に入ってからは、やっと下関にのみ、ふぐ料理が解禁されるようになり、昭和の時代に入ってから、ようやく食品衛生法により、ふぐは専門の調理師免許が必要とされるようになりました。
現代のふぐ料理といえば、高級料理の代名詞のようになっていますが、歴史的にみると、元々は庶民的な感覚で食べられているものだったのです。
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